「子どもを自立させる“本当の愛”とは? 親がすべきは“見守る勇気”」

親として、子どものために何ができるのか。
助けたい、守りたい――その気持ちは当然です。
けれど、時に“手を出さないこと”こそが、
最大の愛情になる。
すし処としの大将・森敏也が、
自らの経験を通して語る“見守る愛”の本質とは。



「無償の愛は、相手を自立させる」

―親として、上司として、職人としての覚悟―

人を育てるということは、
「助けてあげること」ではなく、
「信じて、手放すこと」なのだと思います。

無償の愛という言葉をよく聞きますが、
それは“困った時に助ける”という
優しさとは少し違います。
本当の愛とは、相手が転んでも、泣いても、
自分の力で立ち上がれると信じて見守る――
その覚悟こそが、
無償の愛なのではないでしょうか。


谷に突き落とす教育の本質

昔から「ライオンは我が子を谷に突き落とす」と言います。
今では少し古い言葉かもしれませんが、
そこに込められた意味は決して
過去のものではありません。

「厳しい経験」
「自分でなんとかしなきゃいけない状況」
「他人に頼れない環境」

これらを乗り越える力がなければ、
人は本当の意味での自立を手にできません。

誰かのせいにする癖、逃げ癖、言い訳。
それらは、守られすぎた環境から生まれます。


教育とは“共育”である

私はいつも思います。
教育とは、教える側と教えられる側が
“共に育つこと”だと。

親も、上司も、職人も、
相手を育てる過程で、
自分もまた成長させてもらっている。
だから「教える」ではなく
「共に歩む」なんですよね。

子どもや部下に辛い思いをさせたくない。
それは当然のことです。
でも――親も上司も永遠ではありません。
いずれ、自分の力だけで
生き抜いていかなくてはならない。

だからこそ、
本当の愛情を持って
“信頼して手放す”勇気が必要なんです。


優しさと甘やかしの境界線

優しさと甘やかしは、紙一重です。
「手伝ってあげた」「可哀想だから助けた」
それは一見、愛に見えても、
実は“自分の安心”を守る行為かもしれません。

一時的な優越感や承認欲求を満たしても、
相手の成長を奪ってしまうなら、
それは本当の愛ではない。

親も上司も、時に嫌われる勇気を
持たねばなりません。
なーなーなーなー、
まぁまぁまぁまぁでは、
子どもも部下も、そして組織も成長しません。


自分で考え、決断し、行動できる人に。

古い考え方だと思われるかもしれません。
ですが、私は信じています。
どんな時代でも、自分で考え、
決断し、行動できる人が
最後に信頼され、愛され、生き抜いていける。

それを支えるのが、
見返りを求めない“無償の愛”なのです。

そしてその愛を持って向き合うことが、
親として、上司として、
そして一人の職人としての
覚悟なのだと思います。


すし処とし 大将 森敏也