支援と介入。 「してあげる」は、本当にその人のためか。



「支援」と「介入」は違う。

この言葉を知って、
僕はすごく考えさせられた。

子育てもそう。
仕事で人を育てることもそう。

困っていたら助けてあげたい。
失敗しそうなら教えてあげたい。

それはきっと、
相手を想っているからこその行動だと思う。

でも、その「してあげる」は、
本当にその人のためになっているのだろうか。


僕が思う「支援」とは、

相手がいつか、自分の力でできるようになるために手を貸すこと。

「こうしなさい」ではなく、

「あなたはどうしたい?」

「じゃあ、どうしたらできると思う?」

と、まず本人に考えてもらう。

答えを教えるのではなく、
答えを見つけるまで一緒に考える。

一方で「介入」は、

「こうしたほうがいい」

「そのやり方じゃ失敗するよ」

「俺の言う通りにやればいい」

と、相手が考える前に答えを渡してしまうこと。

もちろん、
危険なことや取り返しのつかないことなら、
止めなければならない。

でも、何でも先回りしてしまったら、
その人はいつ自分で考えるのだろう。


子育てで考えてみる。

例えば、明日の学校の準備。

親から見れば、

「あ、体操着入ってない」

「明日これ必要なのに」

と気づく。

そこで全部教えて、
最後には親がランドセルまで確認する。

確かに忘れ物はなくなる。

でも、それを毎日続けていたら、

「忘れ物をしない子」ではなく、
「親がいないと準備できない子」

になってしまうかもしれない。

だったら、

「明日の時間割、確認した?」

「必要なものは全部入ってるかな?」

くらいでいい。

そして、もし忘れてしまったら、

「なんで忘れたの!」

ではなく、

「次は忘れないために、どうしたらいいと思う?」

と一緒に考える。

忘れ物を一度もしないことより、

自分で準備できるようになることのほうが大切だから。


友達と喧嘩した時も同じ。

「そんな子とはもう遊ばなくていい」

「先生に言ってあげる」

と親がすぐ解決するのではなく、

「何があったの?」

「あなたはどう思った?」

そして、

「これから、どうしたい?」

と聞いてみる。

仲直りするのか。
自分から謝るのか。
少し距離を置くのか。

もちろん、いじめや暴力など、
大人が守らなければならないことは別。

でも、本人が乗り越えられることまで
親がすべて解決してしまったら、

人間関係で悩み、
考え、
乗り越える経験まで奪ってしまう。

転ばせないことより、
転んだ時に自分で立ち上がれること。

それも子育てなのかもしれない。


仕事でも、まったく同じだと思う。

後輩から、

「これ、どうしたらいいですか?」

と聞かれた時。

経験のある人間なら、
答えなんてすぐ分かる。

まして職人の世界なら、

自分でやったほうが早い。
自分で仕込んだほうが綺麗。
自分で判断したほうが間違いもない。

でも、それを続けていたら、
いつまで経っても人は育たない。

だから、

「君はどうしたらいいと思う?」

と聞いてみる。

答えが返ってきたら、

「なんでそう思った?」

と、もう一歩聞いてみる。

100点じゃなくてもいい。

大きな問題にならないなら、
一度やらせてみる。

失敗したら、

「だから言っただろ」

ではなく、

「何が原因だったと思う?」

「次やるなら、どうする?」

と考えてもらう。

失敗させないことが育成ではない。
失敗から何を学ぶかを一緒に考えることが育成なんだと思う。


もう一つ、
職人の世界でありがちなのが、

「自分とやり方が違う」=「間違っている」

と思ってしまうこと。

包丁の使い方。
仕込みの順番。
掃除の仕方。
仕事の組み立て方。

長く仕事をしていれば、
誰にでも自分なりの「型」ができる。

だから後輩が違うことをしていると、
つい口を出したくなる。

でも、

「なんでそのやり方にしたの?」

と聞いてみたら、
ちゃんと理由があるかもしれない。

もしかしたら、
自分より効率のいい方法を見つけるかもしれない。

衛生、安全、品質。
絶対に守らなければならないことは教える。

でも、その先まで
全部自分と同じである必要はない。

人を育てることは、
自分のコピーを作ることではない。

いつか自分とは違う考え方を持ち、
自分にはなかった方法を見つけ、
教えた人間を超えていく。

本来、それくらいでいいんじゃないかと思う。


「失敗させない」は、本当に優しさなのか。

失敗してほしくない。

苦労してほしくない。

自分と同じ遠回りをしてほしくない。

そう思うからこそ、
経験のある人間は答えを教えたくなる。

でも、

「あの人がこうしろって言ったから」

「親に言われたから」

「上司の指示だったから」

と言える環境を作ってしまうこともある。

なぜなら、

自分で考え、自分で決めていないから。

自分で考えて、
自分で決めて、
自分でやってみる。

成功すれば自信になる。

失敗すれば、
「じゃあ次はどうしよう」と考える。

その繰り返しで、
少しずつ自分の人生に責任を持てるようになるんだと思う。


僕自身も、
人に何かを教える立場になって、
ついつい答えを言いたくなることがある。

経験があるからこそ、
「ああ、それじゃ失敗するな」
と見えてしまうこともある。

でも最近は思う。

その人がするはずだった失敗を、
僕の経験だけで奪ってしまっていいのだろうか。

見守るというのは、
放っておくことではない。

何もしないことでもない。

困った時に手を差し伸べられる距離にいながら、

まずは、その人自身に考えてもらうこと。

教えるより、考えてもらう。

守るより、立ち上がる力を育てる。

答えを与えるより、
答えを見つける力を育てる。

子育ても、人材育成も、
目指すところは同じなのかもしれない。

自分がいなくても、その人が自分で考え、
自分で決め、自分の足で歩いていけるようになること。

支援とは、
相手の人生を代わりに歩くことではない。

その人が自分の足で歩けるようになるまで、
隣を歩くこと。

僕は、そんな人でありたい。

すし処とし 大将
森 敏也